病院敷地内に集団墓地/オーストリア
ナチス「障害者抹殺」の犠牲者か
「歴史の暗黒明るみに出さねば」州が徹底調査へ
オーストリア・チロル州の町ハルからの報道によると、同地で220体の遺体が埋められた墓地が発見されました。墓地は同地のチロル州立ハル病院の精神科病棟敷地内で発見されたもので、埋葬されていた人々の少なくとも一部は、1942年から45年にかけてナチスが精神障害者の抹殺をはかった「安楽死計画」で殺害された犠牲者だとみられています。オーストリアは38年にナチス・ドイツに併合されていました。
墓地の発見は、チロル州立病院などの運営会社TILAK社が3日、明らかにしました。雪解けを待ち3月から州政府が任命した専門家による本格的発掘調査が行われることになりました。専門家による調査は、病院の記録との照合やDNA鑑定も含め、遺体の身元や死因を確定するもので、2年間を要する予定です。
ナチスは、特異な優生学的思想に基づき、身体障害者や精神障害者は「生きる資格がない」と断定、強制的な不妊手術を行い、社会から排除したほか、39年から41年にかけて「T4作戦」と称する安楽死政策を実行しました。この作戦で死亡した障害者は20万人以上とされています。この作戦の中心の一つになったのは、オーストリア中部のリンツ近郊アルコベンにあったハルトハイム城など。ハルトハイムでは40年5月から41年8月にかけての1年4カ月間だけで約2万人の障害者が殺害されたといい、この数字は45年の終戦までには3万に達したといいます。ハルの精神病棟からはこの間に少なくとも360人がハルトハイム城などに送られました。
T4作戦は41年8月にヒトラーの命令で公式には中止となりましたが、精神障害者の殺害はナチスの医師により個々の精神病院で続きました。この時期の安楽死は政府の命令を公式に受けたものではないという意味で「野放しの安楽死」の時期と呼ばれています。歴史学者は、ハルに集団墓地が開設されたのは42年で、この新たな時期と一致すると指摘しています。
チロル州のプラッター知事は、墓地発見に大きな衝撃を受けたと語るとともに、チロル州には歴史的な責任があるとして「この歴史の暗黒の章を今徹底して明るみに出さなければならない」と語り、独立専門家委員会を発足させることを明らかにしました。
(夏目雅至)
( 2011年1月7日「しんぶん赤旗」)