極東軍事裁判所条例は”事後法”か
ご存じのように、藤尾前文相が、日韓併合を正当化する問題の発言をすると同時に、東京裁判を否定するような批判をやしましたネ。これは国際的にも問題になって、結局、罷免されましたが、その言い分は、国際法からみて戦争は許されている、戦争が終わってからマッカーサーが極東軍事裁判所条例というものをつくって、すでにすんだ戦時中のことを遡及して裁いたのは、事後法であって、法的にも容認できない。勝者の報復的な暗黒裁判である。とくにA級戦犯を死刑をふくむ刑に処したのは、今までの国際法でもそういう個人を裁くということはなかった”と言ってるんです。
彼の言っていることに一理があるように見えますのは、たしかに事後法による裁判であったし、最高責任者のヒロヒト天皇や捕虜の大量生体実験をやった七三一部隊の責任者たちを免罪にするなど、占領政策の意図的な弱点も指摘されるからです。
ニュルンベルクと東京の条例をくらべてみますと、前者には「国家の元首」が被告人として明記されていますが(第八条)、後者ではまったくぬけおちているんです。
そういう弱点がありながら、その直後の国連総会で、数回にわたってニュルンベルクの諸原則は一致して決議され、国際法委員会で「人類と平和と安全に対する犯罪の法典案」として、成文化の努力が続けれれています。
このことについて、名古屋大学の国際法の松井芳郎教授は、最近の「赤旗」紙上で(一九八六年九月二七日付)、次のように言っています。
「ニュルンベルク徒党今日以来、個人の国際的な刑事責任については、いかなる疑いも存在心かった。この考え方は、(国際国連法)委員会において、全員一致で認められている」
ここでつけ加えておきたいのは、第一次大戦のベルサイユ平和条約が結ばれたときに、これは賠償と一部の領土割譲があったんですが、その時に個人の戦争責任を追及する萌芽が出ているんです。それは、ドイツの皇帝ウィルヘルム二世を、「国際道徳に反し、条約の神聖を汚した重大な犯行」として、国際軍事裁判にかけるということを、ベルサイユ条約で決めているんです。
ところが、これが実現しませんでしたのは、この皇帝がオランダに逃げて、政治亡命ということで、オランダが引き渡さなかったからです。
この裁判は行われなかったのですが、そういう前例が第一次大戦の後始末として逢ったという
パンフレット 「なぜ、いま 時効不適用条約か」
「戦争犯罪と人道に反する罪に時効はない」 から