時の焦点
思いやり予算
敗戦後半世紀を超えて首都横田に居据わる外国軍事基地。そして「思いやり予算」。戦後史上もっとも異常な対米従属の象徴です。
「思いやり予算」は三十年前の一九七八年からはじまり、定着をはかって、九一年につくられ以後定期的な特別協定は、ことし三月で期限切れとなります。
不正義なベトナム侵略戦争の挙句財政困難におちいった米軍を支えようと、当時防衛庁長官の金丸信の采配ではじまり、国民の目を眩ますために「思いやり予算」と名付けられました。
日米安保条約や地位協定で決められた以外の本来日本側は不必要な経費負担で「はじめチョロチョロ、あとパッパ…」のやり方で、年間六十二億円から始まり九〇年代には二千七百億円とうなぎのぼり、三十数年間に総額五兆円を超えました。
現在の在日米軍駐留経費は、二〇〇七年度五五三四億円。駐留米兵三万五千人として、米兵一人当たり一千六百万円、国民の血税が負担させられています。そのうちの四〇%が「思いやり予算」。年を追って屈辱的に拡大されたため、現在は基地で働く日本人労働者の賃金や手当まで負担させられ、国民の声に押された日本側の総額削減要求に対して、米軍側は日本人労働者の賃金問題には無関心で、逆に米兵の光熱水費の増額を要求する始末。特別協定期限切れを契機に「基地撤去、米軍撤退」を展望しながら、当面「思いやり予算全廃」の自主独立外交を展開すべきです。
一方、第二のそして巨大な「思いやり予算」が国民を直撃してきています。「米軍再編」に伴う経費の全額負担がそれで、三兆円を超すといわれます。遠く南太平洋のアメリカ領土のグアム島に、一戸七千万円もの高級米軍宿舎何千戸もの建設を、大増税や社会保障の破壊に苦しむ日本国民が負担する破目になっています。「思いやり予算」を含む軍事費を聖域とせず、大幅削減のメスを入れるたたかいは、重大な政治的意義をもちます。(元)
不屈中央版 403号 2008年1月15日