管野須賀子の虚像を正して名誉の回復を(2)
荒畑による管野須賀子の酷評
かつて大逆事件を扱った書物には、管野を妖婦と酷評する『寒村自伝』のつぎのような文章が何時も引用されました。
「彼女は大阪の小説家宇田川文海に師事して小説家を志したが、(中略)文海の力に頼るとともに貞操をもって支払わねばならなかったのである。そういう生活はやがて彼女を捨て鉢におちいらせ、われから享楽に沈溺させ、そして後に新聞記者となってからはますます放縦淫逸な生活に沈湎して、さまざまな男と浮き名を流すに至らしめた」とし、具体的な実名まで記して管野を辱めました。
山本藤枝らの管野須賀子評
伝記作家の山本は『人物日本女性史第11巻―自由と権利を求めて』(1978年)に管野をつぎのように描いております。
「性的放縦とピューリタニズム。純潔をモットーとし、廃娼をさけぶ矯風会と、父親のような男の妾的存在であり、ほかの男たちともルーズな関係をつづけている管野スガ。およそ、共存も合体も考えられないこの二者が、なぜ結びつくことになったのだろう。」と、管野の人間性を疑って述べております。
女性史家の永畑道子も山本と同様な見解で述べ、中には学術論文にまで妖婦説が引用されました。小説家の瀬戸内晴美は1965年にいち早く管野を取り上げ、「妖婦で何で悪い」とばかりに『寒村自伝』を下敷きにして、管野のことを官能小説まがいに描きました。
神埼清の『革命伝説』
神埼清は大逆事件について精力的に資料を集めて『革命伝説・大逆事件』(全四巻・1968~9年)を著し、大逆事件の経緯を詳述し、管野のことについて、「荒畑の管野論は偏見がありすぎる」と批判した上で、宇田川文海を含む男性遍歴については「真実の愛情を求めてさすらい歩いた恋愛放浪であった」としております。ただし、荒畑のような管野を辱める娼婦扱いはしておりません。
清水と大谷の管野須賀子評
清水卯之助は管野の全作品を、『管野須賀子全集』(全三巻・1984年)に取りまとめ、宇田川のことについて、「師弟の垣根を取り払う愛情が生じることもあり得るであろう。」、「寒村は須賀子にコンプレックスと度し難い恨みをもって中傷した」とし、宇田川以外の男性遍歴については、荒畑の記述を否定しております。
大谷渡は、天理教の機関誌編集者・宇田川文海についての研究過程で管野須賀子を知り、1989年に『管野スガと石上露子』を取りまとめ、『寒村自伝』に記された管野スガの男性遍歴について、裏付けのない憶測や風説で書かれ、管野が宇田川の妾的存在であったとした記事について、根拠を示しながら全面的に否定しております。
これまで荒畑の管野妖婦説に振り回され、管野の社会活動や著作物の評価がないがしろにされてきました。当時の関係者は全て死去しており証言はとれませんが、関係者や管野が遺した作品を再精査して管野の虚像を正すとともに、厳しい時代に命がけで理想社会の実現に取り組んだ先駆者の業績を、正しく評価し直す必要があります。
【つづく】
(石上露子を学び語る会H・M)