毒ガスと大久野島
都島区 T.Y
忠海港よりフェリーで15分の所に周囲4キロメートル程の大久野島はあります。毒ガス兵器という国際的に禁止された兵器をつくっていたので戦時中は地図から消されていたのです。 昭和4年から敗戦までの16年間陸軍兵器工場が置かれていました。大久野島でつくられた致死性毒ガスは戦争に使用するため、中国に運ばれ使用したとの証言もあります。
敗戦後大久野島に残された毒ガスは近海に投棄され、毒性の弱い赤筒役67万個は島内に埋没処理されたとの記述が有ります。
戦後68年、そろそろ容器は腐食し原料が流れ出る可能性は高いと言われています。陸軍の時代からうさぎはいたらしくガス感知の為に今も放し飼いなのではとの説明を受けて次の広島へ移動。
8月6日は広島原爆の日です。68年前学徒動員に来て二次被爆した故長兄のことを想い起こしながら平和祈念式典に出席。
さらなる平和のために日々過ごすことを心新たにし帰阪して来ました。