六、過去の戦争責任を明確にすることが
未来の戦争をふせぐ
なぜ戦争責任の追及が弱いのか
日本ではなぜ戦争責任の追及が弱いのでしょうか。これは大問題ですが、私はつぎのように考えています。
戦時中には「一億一心」とか「一億総動員」とかといわれ、戦争に負けたときには「一億総ざんげ」といわれました。みんながいっしょになって戦争をし、戦争に負けたらみんなが悪かったといって、みんなで謝罪する、こういう発想からは、誰が戦争の責任者かをあきらかにしようという考え方はでてきません。責任があきらかにならなければ補償も賠償も要求することはできません。従軍「慰安婦」や南京大虐殺の問題をとりあげると、「いまさら国の恥をさらすことはないではないか」とか、「祖父や親兄弟の悪口をいうのか」という反発がおこってきます。「国の恥をさらす」ことは、自分の恥をさらすことだから「自虐」だというわけです。
この発想では、国と国民、支配者と被支配者とがごちゃまぜになっています。国民は戦争にかりたてられた軍国主義の犠牲者なのだという視点が抜け落ちています。もちろん、国民のなかにも軍国主義に便乗して甘い汁を吸ったものもいるでしょうし、あるいは戦地で残虐行為をおかした人もいるでしょう。そういう人びとの責任は追及されるべきでしょうが、そちらにばかり目を奪われていると、もっとも重要な、侵略戦争そのものを推進した最大の戦争責任者を見失うことになります。
ところが日本ではこういう戦争責任者を追及していくと、いずれも上からの命令でやったという責任逃れがでてきます。そして上へ上へとさかのぼっていくと、最後には天皇ということになるのですが、その天皇には、すでにのべましたように、戦争責任なしとされてしまったので、結局はすべてがうやむやということになるのです。このような天皇を頂点とする無責任体制こそ、戦前の日本社会の特徴であり、そしてそれは象徴天皇制になった戦後においても心情的にはひきつがれているように思います。たとえば最近の銀行の不良債権問題にしても誰も責任をとろうとしませんし、責任追及もおこなわれていません。バブル崩壊後、不良債権の責任を問われて六千名以上が起訴され、四千名近い人が刑務所へほうりこまれたアメリカとは大違いです。