顕彰碑探訪
種まく人
津川武一の碑
津川武一(1910~1988年)の碑は合併で青森市となった浪岡の生家に一九九〇年に建立された。
武一と共に息子を信じ愛した父文八郎、母イトのレリーフが並んでいる。武一は東京帝国大学医学部時代から共産青年同盟、後に日本共産党へ入党し活動する。治安維持法で弾圧され豊多摩の刑務所に投獄された。両親は「…刑務所の金あみをはさんで面会した私になぜ共産党に入ったとも、私を非難する言葉はひとことも発しなかった」という。
この日記は碑に武一の筆跡で彫り込まれている。別に「種まくことは人類永遠の栄光である」と刻まれている。二一歳の武一は両親に「自分は…いい世のなかをつくるためにがんばっているのだ」と説得したという。東京帝国大学は武一を退学処分にしたが、後に復学を果たし医師になる。
戦後、日本共産党を再建し県委員長になる。健生病院の創設など民医連運動、自分でも執筆し民主文学運動などに取り組む。日本共産党の県議会議員、衆議院議員として活動をする。津川武一を生んだ浪岡には同年に相沢良も生まれている。相沢良の碑の建立に武一が尽力し、除幕式には良の姉高松千代と妹朝倉京も列席し、武一と懇談し記念写真に収まっている。
(文・富樫秀雄)
不屈 395号 2007年5月15日