中国ツアーの見どころ
山西そして平遥 根本智男
現在の〈中華文化〉は、黄土大地・黄河中流域・万里の長城内に誕生した漢民族文化がシルクロ―ドを通じての西方文化と北方民族文化の影響を受け発展した複合文化です。山西は北方文化を受け入れルートであり窓口であったことから中華文化が開花した地。山西省は〈古代建造物の博物館〉とも言われています。
中国の歴代王朝の半分は北方民族政権でした(清朝=満州族)。清代以外、漢民族政権から北方政権へ移行時の戦いの主要戦場は山西の黄土大地上であった。このことから山西は漢民族と北方の少数民族との交流・交易の地(平遥・太原・大同)として栄えました。今でも山西人は「商売上手の山西商人」の称号を得ています。日本の近江商人、大阪商人と同意語。
平遥は晋(紀元前二五〇年)に北に対する軍事拠点(砦)として造られ、明代には現在の城壁(周囲25キロ)が構築され、城内に民家が建築されました。中国でも完全に数少ない明代の城壁と住居遺産であるとしてユネスコに〈世界文化遺産〉として登録されています。ここへの外国人観光客の訪問はここ数年増加の一途で、訪問すれば「中華文化の粋」を知ることができるとでしょう。また平遥には侵略日本軍(第五師団=師団長・板垣征四郎)による傷跡も残っています。
2007年8月15日発行 不屈 №398